<まちの話題>松崎宿を行く!

皆さん、こんにちは!取材クルーのPsukeです(^^;

秋も深まりつつ街も色づいてきましたね。
さて、江戸時代より交通の要衝だった小郡市。市内東部の松崎地区には、薩摩や熊本などの主だった大名が参勤交代の宿場町として利用した「松崎宿」がありました。
その面影が残る松崎宿当時の時代に思いを馳せながら秋の松崎路を歩いてきました。

松崎宿の歴史

時は今からさかのぼること約350年前。1668年に久留米藩の支藩として松崎藩が成立しました。藩主は有馬豊範で居城(松崎城)は現在の三井高校の場所にあったと言われています。

城跡には石碑のみ残る
福岡県立三井高校

松崎城の前には守り神として京都伏見稲荷から勧請した「松崎天満稲荷神社」があります。そして、そこから松崎宿の街道までを山桜を植え「桜馬場」とし、武士たちの流鏑馬の神事の場所や平時は馬の訓練の馬場としていました。

松崎天満稲荷神社
桜馬場

松崎藩の誕生により小郡市内を通過していた参勤交代の道がそれまでの横隈経由から松崎経由に変更され、宿場町「松崎宿」が誕生しました。松崎宿は、鹿児島~熊本~山家宿までの薩摩街道にあり、長崎街道の田代宿から英彦山詣りのための彦山道が合流する松崎宿は、まさに交通の要衝として当時の旅人で大いに賑わったようです。

画像:NPO法人文化財保存工学研究室「おごおり街道七物語」より

松崎宿を街道に沿って

松崎宿は出入り口の南北に「搆口」と呼ばれる番所を設け、宿場町の防御や治安維持の拠点としての役割を果たすための4ケ所の石垣が現存しています。また、道をわざと直角に曲げて見通しをさえぎり、人馬のスムーズな進入を防ぐ「枡形」にし、容易に無頼者が宿場内を通り抜けできなくするための仕組みにしていました。

それでは、松崎宿の南入口から歩いてみましょう!
薩摩街道を西郷隆盛になったつもりで南口から入って行くと南構口がありました。

入口にはこんな立札が建てられていました
南搆口の石垣
南搆口から見た街道
下町の恵比寿さん

当時の宿場町内には商売繁盛のための恵比寿像が4か所奉納されています。その中の一つが街道入ってほどなく歩いて左側にありました。大正11年に奉納されたとのことです。

当時の旅籠が残ってました。今は住宅として使われてないようですが、玄関表に見られる持ち送り(下屋を支える腕木)の形から明治以降の建築と考えられます。旅籠の雰囲気をよく残していますね。
で、また先にも恵比寿さんがいました。こちらも大正11年奉納とのこと。

旅籠鶴小屋(つるごや)
下町の恵比寿さん

しばらく行くと道が直角に曲がっています。「枡形」ですね。
街道に出ましたので桜馬場に入ってみましょう。

南枡形
街道から松崎城方面へ

直ぐに御茶屋(本陣)跡があります。御茶屋は藩主が領内巡幸の際の休息所・宿舎として、また街道を往来する各藩の大名・幕吏の本陣として接待や宿舎に利用されていました。
現在は跡地に恵比寿さんが奉納されています。

本陣跡の説明看板
本陣跡には中町の恵比寿さん

さてさて、街道に戻りましょう。
右側に大きな旅籠が見えてきました。「旅籠油屋」です。
嘉永2年(1849)に建てられた大型の旅籠建築で、主屋の「油屋」と座敷の「中油屋」から成っています。
主屋には主として一般客を、座敷には身分の高い賓客を宿泊させていたと考えられ、脇本陣に準ずる内容と規模を備えていました。台風被害などで一時解体の話も出ましたが地域の方々の協力などで、平成13年12月に市指定有形文化財となって保存され、平成31年に江戸時代当時の姿として復原されました。

旅籠油屋が右側に見える
右側が主屋の「油屋」、左側が座敷の「中油屋」
旅籠油屋の全景

「旅籠油屋」は9時00分~16時30分まで無料で公開しています。(入館は16時まで/日祝・月は休館)
駐車場は旅籠油屋の前(西側)にあります。(無料)
ボランティアガイドが常駐していますので説明が必要な場合は事前にNPO法人文化財保存工学研究室(0942-80-1920)にご相談ください。

文化財保存工学研究室の事務局職員が常駐
土間~帳場(受付)
1階板の間
かまど
2階開口部~座敷(主屋)
2階客間(主屋)
2階濡れ縁(主屋)
西郷隆盛宿泊の伝承がある部屋(主屋)
主屋用の便所・風呂場へと続く渡り廊下
主屋の裏庭
座敷棟
座敷棟への廊下
座敷棟入口
座敷玄関の間
座敷

旅籠油屋。以前、復原される前の屋敷内を見学したことがありますがその時とは見違えるほど綺麗になってました。座敷を見たのは初めてでしたが、こちらは主屋2階の一般客用とは違い身分の高い賓客が利用しており、油屋が脇本陣並みの施設だったことが指摘されています。

さて、ではまた街道に戻ってみましょう。
油屋を後に街道は右に折れています。すると恵比寿さんと水盤が。文化3年(1806)の銘があるので恵比寿像の中で最も古いもののようです。

宿場町も終点間近
上町の恵比寿さんと水盤

そして直ぐに街道は枡形になって折れています。角には三原家の土蔵と洋館が建っており、土蔵は現在松崎宿歴史資料館となっています。
いよいよ松崎宿も終わりに近づき終点の北搆口が見えてきました。搆口に隣接して番人小屋があり参勤交代の大名が宿泊する際には関札が立てられ厳重な警備体制がとられていたとのことです。
松崎宿の構口はすべての石積みが現存しており全国的にも珍しく、小郡市の指定文化財になっています。

北枡形の松崎宿歴史資料館
北搆口
現存する搆口の立派な石垣
北搆口の説明看板

ということで、秋の松崎宿を探訪してきました。青空がさわやかでとても気持ちよく歩くことができました。
皆さんもぜひ訪れて、参勤交代で松崎宿を利用した大名の気分に浸ってみてはいかがでしょうか?

<アクセス>
車 /大分自動車道筑後小郡ICを下りて5分(駐車場は油屋前にあります)
電車/甘木鉄道松崎駅下車、徒歩5分

お問合せ

NPO法人文化財保存工学研究室
〒838-0122福岡県小郡市松崎786番地1
(旅籠油屋主屋内)
☎0942-80-1920
E-mail:npo.orm@ser.bbiq.jp

Notes/取材クルーPsuke